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Dazai Eiichi

太宰 榮一

平成元年 明治大学経営学部卒
株式会社白石倉庫 代表取締役社長

「備えよ、常に(Be Prepared)」の言葉がいまでも好きで、
防災の関係の講演会や、仕事の場でもこの言葉をよく使いますね。

インタビュー:2025年10月

出身地と生年月日を教えてください。

昭和42年3月6日生まれ、高校卒業まで白石にいて、明治大学平成元年卒です。

幼少期で思い出に残っていることは何ですか?

あまり覚えていないけど、小学校のころから、ボーイスカウトをやっていて、ベーデン・パウエル卿のイニシャルにちなんだ言葉だと記憶してるだけど、「備えよ、常に(Be Prepared)」の言葉がいまでも好きで、防災の関係の講演会や、仕事の場でもこの言葉をよく使いますね。ボーイスカウトでは、小学5年から、高校3年まで活動していて、募金活動とか、いろいろ奉仕活動やってました。勉強できることが多くて、自身の成長につながったと思いますね。

高校、大学と進んでいく中で、明治大学へ進学を決めたきっかけは?

正直、六大学であれば、どこでもよかったかな。立教大学、慶應よりは、なぜか早稲田、明治がよかったかな。実はさ、高校時代、白石高校だったんだけど、その時の陸上部が強くて、仙台育英高校にも勝つことがあった。800mで2分を切れそうなくらいだったんだよね。それで、明治大学競走部のOBの方からお誘いがあって、縁を強く感じました。

ご結婚ですが、奥様とのなれそめを聞いてもいいですか?

明治大学経営学部の1年6組で、語学クラスが一緒で(笑) そこからの付き合いで、大学卒業後、彼女はコンサル会社に就職して、そしたらすぐに海外勤務になり、帰ってきたら結婚しようということになりましたね。結婚してから、会社のネットワーク構築システム(物流)システム関係の確立をやってくれました。これは、自分がお願いしたわけではなく、自分から進んでやってもらって、今でもそのシステムを使っていますね。

明治大学在学中、どのような学生でしたか?自慢話でもいいです。

うーん、とにかくバイトでしたね(笑) バイトは、4年間ずっとワインバーで稼いでいて、貯めたお金でバックパッカーしてました(笑) 20か国くらい行ってます。シルクロードを走破したいと思って、旅にでて挑戦して、その時ちょうどイランイラク戦争中だったり、それでルート模索しながら、挑戦していましたね~。いまも、海外に行くのがとても好きで、台湾とか結構仕事で行っています。

会社についてや、今の自分のPRを含めて教えてください。

白石倉庫は、1900年に仙南信用銀行から派生してできた会社で、倉庫会社は、結構そういうケースが多いですね。会社は、今年で125年を迎えます。いまは、テレビCMとかも使ってますね。白石倉庫のPR動画も気合入れて作ったので、是非見てみてください。

自社は、ローカルに特化していて、16拠点を持っています。立地最優先でやってますね。お客さんのニーズも考えて、仕事のサービスを展開して、これらの拠点が活用されています。宮城県内で、5,6km走ったら白石倉庫があるよね。ということを目指してます(笑)
それでいま、「グローカル」、グローバル倉庫会社と、我々ローカル倉庫会社とが共同で仕事を出来るような連携サービスを進めているところです。

仕事以外では、講演活動をすごい頼まれいて、実は軍事研究が趣味なんだけど、その研究のために外国に取材にも行っている。台湾有事の講演もやっています。台湾有事になった時に、日本の企業がどんな影響を受けてしまうのかというのはとか、自分で取材して、調べたものを記事にしたり、講演したり。引退後は、軍事評論家になりたいかなと思っています(笑)
あと、プロ野球の選手の横浜高校出身で明大卒の渡邊佳明選手(東北楽天ゴールデンイーグルス/2018年ドラフト6位)の後援会長もやっています。松坂大輔選手の横浜高校の時の野球監督(渡邊元智氏)のお孫さんが、渡邊佳明君なんだよ。

社長に就任、後を継ぐことはいつくらいに、どうやって決めましたか?

自分は、白石倉庫7代目で。太宰家としては、3代目なんだけど。 もう、小学校のころには、後を継ぐもんだと思っていた。見聞を広げるために、東京に大学進学、就職(三菱倉庫(株))をしました。あと、おじいさん(5代目社長)の影響が強かったですね(笑) おじいちゃん子だったので、おじいちゃんの話を聞きながら寝ることが多かった。「一時の大きい損失よりも、月々の延々続く損失の方が大きいよ」とか、子供のころに聞かされていた(笑)

最後にこれから会社、個人で取り組んでいきたいことを教えてください。

近々は、備蓄米の問題ですね。125年前から、政府米やっているけど、備蓄米放出後の倉庫保管料の保証がなにもなくて、とても倉庫会社は困っている。全国定温倉庫協同組合の理事長として、農水省と折衝するとか、奮闘中です。
まだまだチャレンジしなくてはならないことが多すぎて、とにかく忙しいですね。


太宰 榮一さん ありがとうございました。

Saito Noriyuki

齋藤 法幸

平成15年 明治大学法学部卒
サイト工業株式会社 代表取締役社長

先代が築いてきた会社をより発展させることが私のミッションですが、
そのためには「校友会のチカラ」が不可欠だと思っております。

インタビュー:2025年9月

出身地と生年月日を教えてください。

1979年 仙台市生まれ仙台育ち 平成15年政治経済学部卒業

幼少期で思い出に残っていることは何ですか?

勉強せずただ友達と遊んでばかりいたと思います。当時はスーパーファミコンの全盛期で毎日友達の家でゲームを楽しんでました。

高校大学と進んでいく中で、仙台一高、明治大学へ進学しましたが、それなりに勉強頑張りましたか?

もともと勉強が苦手で好きではありませんでしたが、中学2年のあたりからヤル気スイッチが入り真面目にやり始め、県内の進学校に入ることができました。大学受験は、現役合格で進学した同級生を尻目に、浪人を選んだ私は河合塾でただひたすら勉強してました。辛い一年間でしたが、この経験がその後の人生の大きな糧となりました。

明治大学は第一志望でしたか?

第一志望は北海道大学でした。しかし、併願校として東京の私立大学も意中にあり、特に明治・早稲田には強い魅力を感じてました。

ご結婚ですが、なれそめを聞いてもいいですか?

大学卒業後は、地元電気工事会社の経理部に勤めました。当時地元の金融機関に勤めていた嫁さんとは先方の職場で知り合い、銀行の窓口で預金通帳と共に婚姻届けに判を押して彼女に提出したことでプロポーズが成功しました。

明治大学在学中、どのような学生でしたか?自慢話でもいいです。

生活費を稼ぐためにひたすらバイトをしていいました。授業を休むことも多く、実は除籍処分になっていたのではと心配してます(笑)。就職活動も氷河期で大変でしたが、内定取得後は、せめて国家資格でもとって親を安心させてから卒業しようと思い、行政書士の資格を取りました。

今の会社での肩書と、社会に出てからこれまでを簡単にと、今の自分のPRを含めて教えてください。

肩書は、サイト工業株式会社 代表取締役(一級建築士)
社会に出て日が浅いうちは、生意気で年配者に対して挑戦的でしたが、歳を重ね様々な経験と明治大学OB会(校友会)をはじめとした多くの人との出会いによって謙虚さを学び、今の自分があると感謝しています。これからも微力ながら校友会活動等を通じて世の中に貢献していきたいと思います。

最後にこれから会社、個人で取り組んでいきたいことを教えてください。

会社は来年で創業60年目になり、新たな節目を迎えます。時代は急速に変化し、会社もそれに対応しなくてはなりません。先代が築いてきた会社をより発展させることが私のミッションですが、そのためには「校友会のチカラ」が不可欠だと思っております。自社業及び校友会双方の発展のために微力ながら今後も取り組んでいきたいです。


齋藤 法幸さん ありがとうございました。